世界的にはeスポーツが高額賞金化してプロと成立しつつあり、試みとしてゲーム要素を教育に取り入れ始めている現代に規制というのは時代錯誤感がある。
娯楽に関する規制・批判の歴史は市民権獲得前の小説、テレビ、映画、漫画、アニメが辿ってきた道だから、時代錯誤というより、いつの世も変わらないというだけなのかもしれない。
ただ現在のゲーム事情を考えると、その根底にある問題認識には一部賛同するところもある。
だからといって、ゲームを一律規制するのに賛成はしない。
どうして規制するのだろう?
ゲームを規制することで改善したいポイントは――
- ゲーム依存症対策
- 学力・体力の低下
- 子供に長時間のゲームを止めさせる口実
の3つだと受け取りました。
ゲーム依存症
度を過ぎたゲーム依存というのは確かにあって、未成年への対策は必要だと思う。
今のゲームは年々「楽しさ」を追求していった結果の産物で、気軽に得られる没入感・快楽という点では素晴らしい作品が続々出ている。
まぁ、映画や小説といった娯楽だって軽重の違いはあれど同じ要素があるのだが、ゲームは何時間でも続けられるものが多い。
特にオンラインゲームは長時間ユーザーをアクティブな状態(ログインユーザーが多い状態を保たないと過疎ってしまう)にするための要素が沢山あるので、オンラインゲーム廃人みたいな現象も起きる。大人なら自己責任といえるかもしれないが、子供は別という考え方はあるだろう。今後何度もいうが、だからといって全てのゲームを規制するのは乱暴すぎる。
あと、私はスマホゲームはやらないので、実体験として語れないが、ガチャなどのギャンブル性の高いものもある。
スマホゲームの射幸性の高さは、一時期大人でも度が過ぎているとして規制(自粛)の方向に動いていし、今でも依存度の高さを指摘する声はあるから、業界の自制力を強めつつ、子供に対する防衛は必要というのは賛成する。
残虐性、没入感や爽快感、長時間費やしてしまう問題などは、ゲームだけが持つものではなく、それを理由にゲームすべてを規制するのは乱暴すぎる。個々のゲーム(個人的には映画・小説・漫画などの全ての創作物)を判定し、規制を設けるのが妥当だと思う。
一部、残虐性やヌードに関してはCEROが区分けをしてくれている。
没入感や依存度、射幸性に関しても、しっかりと把握して度の過ぎるものはCEROなりで区分けするのが良いのではないだろうか?(そのほかの創作物の方がバイオレンス描写やヌードに関しては緩い気がするけど、まぁそれは別問題として)
ゲーム(に限らず娯楽全般)の依存性や過激性を問題視するのはわかるが、ゲームだけ問題視し、問題のないゲームも含めて全部規制して蓋をするのは過剰だし安易すぎる。
学力・体力の低下
これはそもそも規制するレベルの話じゃないよ。ゲームだけが問題って話じゃなくて、色々な要素が影響している。
ゲームすることで、友達との日常会話が成立していたり、本を読まない子供の想像力を磨いたり、対戦ゲームで勝負の駆け引きを学んだり、ゲームでお金を稼ぐ可能性が生まれたりする。学力偏重は理解できるが、県が規制してそのメリットを潰すのはナンセンスだと思う。
そもそも、1番目立つ娯楽を押さえつけても、他の娯楽に移るだけで勉強はしない。
1日勉強1時間・運動1時間以上という条例にすればいいんじゃないかなぁ。
子供に長時間のゲームを止めさせる口実
多くの賛同する親は、この辺を求めて賛同しているのではないだろうか? 条例で禁止されているという口実があれば、納得させやすいと。
重篤な依存症を抱えている親が沢山いるとはさすがに思いたくない――だとしたら、それは凄い社会問題だ。
中には、こういう口実が無いとゲームを止めるように強く言えない親や、子供がゲームの世界に籠って(物理的に自室にこもっているのかもしれない)コミュニケーションが取れないという親もいると思う。だが、それはゲームを規制したら本当に改善する? 他の娯楽は規制しないでいいの?
ゲームが現在子供にとって一番の娯楽なだけで、アンコトローラブルなのは、家庭の在り方や社会在り方の問題で、ゲームに押し付けているだけではないだろうか。
香川県の条例について
根拠が薄く、全てのゲームを規制というのは乱暴と感じるが、香川県が実施することについてはもう(人体実験に近い気もするが)やらせてみれば良いんじゃないかと思う。人道的には酷い考え方かもしれないが、他の県は香川県に実施させて3年ほど様子を見れば良い。
それで香川県が明らかに学力向上・体力向上・ゲーム依存の改善が見られたら効力ありと右に倣ってみれば良いだろう。そうはならないと思うし、子供の頃に抑圧されると大人になってから反動が出るという結果も考えられるから本当はもう少し広いスパンで計測すべき事柄だと思うが。
まとめ
ゲーム依存による社会障害や、ゲームの射幸性・依存性に関する問題は十分に考えて行くべきで、度合い・頻度によっては未成年に対する規制も必要なケースがあるかもしれない。
ただ、ゲーム脳などの科学的な根拠の薄い疑似科学的な疑いのあるものはしっかり検証して、規制の方向もゲーム全部ではなく、暴力やヌード表現に対するCEROのような一定の判定基準をもって、個々のゲームを判断するべきだと思う。
家庭や社会の問題だったり、娯楽全般に当てはまる問題をゲームだけに追及している部分もある。
香川県の規制は源となる、問題意識は一部わからなくはないが、検証が不十分で適応範囲も安易に広げ過ぎている気がする。ゲームじゃなくて、書籍・映画・音楽・スポーツなど別の娯楽に置き換えて考えてみて欲しい。
子供を守りたい気持ちは十分にわかるが、負の部分ばっかり目がいって、規制・自粛・不寛容な方向に進んではいないだろうか?