新しいゲーム機Play Station 5とXBox Series X(とS)が発売になる。
ハードメーカーにはそれぞれの思惑があるのだけど、それはうっちゃって、遊ぶ側の次世代を語ってみようと思う。
もう新しいOSは必要ないんじゃないかな
前世代のときから同じハードの性能が高い版(Play Station 4 ProとXBox One S)が出たり、XBoxは最初から性能が異なる2つのハードが出るなど、コスパの良いPC化が進んでいる。
ソーシャル機能などOSが提供する部分で大きな変化がないなら、ハードウェアの性能だけ上げて互換性を保てばいいんじゃないかと思う。
まぁ99%互換性ありという発言が出るあたり、もう内部的にはそんな感じなんだと思う。さすがにソフトウェアエミュレートはしていないだろう・・・。
少なくとも、ハードが新しくなったら前のハードのソフトは動かなくなるという心配からユーザーは解放されても良い時代だと思う。
周辺機器の断絶はナンセンス
PCゲームはXBox 360コントローラーも、XBox Oneコントローラーも、PS4コントローラーも使える(メーカーの対応次第だけど)。
PS4のタッチパッドなどはたぶん使えないけど、多くのゲームはそれで遊べる。
次世代ゲーム機もPlay Station 5の場合、ボタン数などは基本的に同じで、L2、R2がよりアナログなフィードバックをくれるとか、振動がより細かくなったとかが改善ポイント。
これ、Play Station 5コントローラーならその機能が利用できて、Play Station 4コントローラーなら細かいフィードバックはないけど使えるようにすればいいじゃない? と思うがPlay Station 5のゲームはPlay Station 4コントローラー非対応らしい。
極論を言ってしまえばPlay Station 5でXBox 360コントローラーが使えてもいいじゃないか(アケコンとかは個別に対応して使えるし、共通できる部分はxInputとかで規格統一しようよ)という話。
ボタン統一しよう
何度.か本ブログでも書いているが、ボタンの表記を統一しようよ。
Play Station 5では海外仕様にあわせて×ボタンが決定になるらしいが、もう少し考えを進めて、SonyとNintendoとMicrosoftが協力して正面の4つのボタンと上部の4つのトリガーの名称と位置を統一しよう。
MicrosoftかNintendoの表記(A・B・X・Y・・・)に合わせるのが良い気がするけど、争いになるなら全く新しい表記にしてもいんじゃないかな・・・。
このボタン問題は、どのゲーム機でも互いのコントローラーを使えるようにして解決でも良い。
ハード独占タイトルの終わり
PCだとEpicがお金の力で時限独占を連発して嫌われているが、コンシューマーゲーム機の世界だと当たり前の話だった。
とはいえ、独占タイトルも時間が立てばPCや他ハードで遊べるようになるしSCEのタイトルでもHorizon Zero DawnなどSteamに展開されるようになった。
オンラインゲームはクロスプラットフォーム対応すべき(現実にはPCに蔓延るチートという高い壁があるのだけど)だし、ハードはソフトウェアを独占すべきではない。
この辺はNintendoが頑なにファースト・セカンドパーティを囲って成功しているのが悩ましい。
ハード別では無くソフト毎にライセンスを
Play Station 4とPlay Station Vitaで同じソフトウェアを遊ぶにはそれぞれのソフトを1本ずつ、合計2本買う必要があった暗黒時代はVitaが終了して、Switchが出たことで終わった。
1本のソフトでTVに移して、持ち出して遊べるようになったSwitchは素晴らしいハードだ。
だが、PCでもPS4でも遊びたい場合は未だに2つのソフトを買う必要がある。
Microsoftは1つのライセンスでPCでもXBoxでも遊べるような形態を用意しているし、Play StationやXBoxではサブスクリプション形式も用意されている。
GOG GALAXY 2.0というPC用のランチャーは良い方向に進んでいるように思える。
もう、このゲームはSteamで買った?、Origin?、Bethethda.net?、PS4?、Switch? と悩みたくない。
というのは理想だけど
実現するためには様々な壁があるのはわかる。
しかし、WiiやWiiUのような他では再現不可能な体験をもたらしてくれるゲーム機を除いて、前面4つボタン+十字キー+アナログスティック×2、加えて4つのトリガーボタンがメイン操作のコントローラー(初代PSの頃から構成はほとんど同じ)を使い続けているコンシューマーゲーム機はもうハードウェア的には性能しか差異は無いのだから、個別に独自路線を崩さずに遊び手に不自由を強いるのではなく、遊び手のことを考えて変化していくべきだと思う。